二十歳を迎える1ヶ月前、交換留学でカナダへ行った。
初めての一人暮らし、海外生活、英語での授業など、慣れない暮らしが始まる中で、一番心が落ち着いたのはアジア出身の留学生との交流であった。特に韓国や中華圏の国から来た友人達は、価値観も近く、エンタメや文化など共有しているものが多くて打ち解けた。
初めて会った時に「どこの国から来たの?」と聞くと「香港」や「台湾」と言われた。「中国とは言わないんだな…それって私から日本ではなくて東京から来ましたって言うようなものかな。中国は広いから都市を言うのがメジャーなのかな」などと思っていた。あとでネット検索などで簡単に歴史を学び、香港や台湾が現在の形になった経緯や、日本との関わりについても知った。世界には自分と同じ世代の若者がいて、彼らは自分と全く違う世界観や歴史観を持っている。それに無頓着だった自分が心底恥ずかしかった。
韓国出身の男友達J君は私以上に日本ドラマや文学に詳しく、三浦綾子を読破しており「氷点を読まない者は日本人として認めない」など私のアイデンティティを揺るがしてきた。日本語も堪能でほぼ同郷のような気分で接していると、時折「兵役の時は~」といった話題が普通に出て一瞬ハッとする。韓国の兵役は約2年間。J君の目にはどんなものが映っていただろう。兵役の背景には南北分断の歴史があり遡れば日本統治時代にいきつく。兵役での経験について私が興味本位で聞いてはいけないと思ってしまって口を閉ざした。兵役で鍛えられたのだろう、文学オタクに見えて体力は凄まじく、雪山も笛を吹きながら余裕で登頂していた。
アジアからの留学生は大学院生が多く、皆自国では超エリート。英語も流暢、歴史や政治に詳しくて自分の見解を堂々と発表していた。(英語も下手な上に話題についていけない私は自分が「国際教養学部」出身ということは隠していた…)
ある時学校のジムで6~7人のアジア人仲間で円陣でバドミントンをしていた。ゆるーくシャトルを打ち合いながら、その日もまた歴史の話をしていた。近代史あたりは必ず太平洋戦争の話が出るので私は「またか」と緊張した。数日前に中国人留学生に「柳条湖事件」のことを聞かれて答えられず嫌味を言われたばかりだった。そのグループの中で日本人は私一人。誰かが日本軍のことに触れて、自分に視線が集まるのを感じた。何と言っていいか分からず、弱々しく
"We're sorry"
と言うと…………一同が大爆笑。
笑わせようとしたのではなく、冗談を言いたかったわけでもなかったが、空気が和んだことにホッとしつつ、皆の爆笑が収まるのを待ってから、落ちたシャトルを拾って打った。
あれから20年以上たって改めてSorryと言った時の自分の気持ちを考える。
「昔、日本がみんなの国を攻めてごめんね」
「どんなに頑張っても皆の歴史認識を理解しきれないと思う。ごめんね」
「完全に理解できていないからこの『ごめんね』も薄っぺらくて、本当ごめんね」
留学後にアジア各国へ旅行して、自分なりに歴史の本を読み、見識を少しは深めても、あの時の状況を思い出すと、今でも"We're sorry"以外の言葉が思いつかない。
気まずい表情で、弱々しく、何とも言えない感じで言うSorryから全く進化していない。深々と謝罪するのも違う気がするし、だからと言ってスルーはできないし、正しい反応がよく分からない。どうしてもぐちゃぐちゃしてしまう。あー情けない。
情けないけれど、情けない日本人として、帰国後もお互いの国へ行き来してとても仲良くしてもらっている。麻雀を教えてもらったし、中国語圏でも簡体字と繁体字があることを知ったし、台湾人歌手の歌を覚えてカラオケで披露したし、香港の雨傘革命を見に行ったりした。
しばらく国際文通もしていた。台湾人の友人からの手紙に「あなたと会って日本人のイメージが変わった」と書かれていた。
返信を書き、封筒に渋い相撲の切手を貼りながら「私は情けない日本人のまま、アジアで、世界で生きていこう」と思った。




